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知性 - 知性についてII

今回は伏線回収です。
つまり、今まで書いてきたものはこれにつなげるためのものでしたという、そういうことです。
ここを転換期として考察記事は次の段階へ行きます。はっきりとは決めていませんがそのつもりです。

今回の内容としてはそのものずばり「自分とはなにか」です。
全部で何回になるかはわかりませんが5回構成くらいになりそうです。
しかし1つ1つは短いのでご安心を。

では【続き】へ。

「知性についてI」では知性とは何かということを書いた。
ここでは知性があることがどのような影響を及ぼすのか、ということを書く。

自分は知性により世界に対して不自然な領域を基に思考を成立させることが可能だ。
このことから自分の行動もその影響を受ける。

行動について書く。

行動は本来反応と同じものである。
どちらも、論理に従ってそのようになることを指しているからだ。
しかし、行動は認識領域の論理、反応は世界の論理と、従う対象に相違がある。

それにより、両者は次のような特徴で区別できる。

まず反応の特徴だ。
反応の定義は世界の論理に従っていることだと書いた。
反応するものは世界の論理によってどうなるか決定される。
そのため、反応は世界に対して常に受身的だ。

これに対し行動は、自分の認識領域に従っている。
これは世界の領域と一致していない場合が多く、ほとんどは不自然な領域だ。
そのため、同じ状況でもどうなるか(どうするか)は反応とは違うこともあり、世界に対して能動的になることが可能だ。

このことを虫と自分に例える。
実際がどうかは知らないが、ここでは虫は知性を持たず反応しかできないとする。

仮に両者が暗い場所にいて、少し先に明かりが見えたとしよう。
このとき虫は自分の習性(世界の論理の一部)に従って明かりへ向かい飛んでいく。
しかし自分はどのような行動をとるかわからない。
明かりに近づくかもしれないし、遠ざかるかもしれないし、その場に留まるかもしれないし、そもそも明かりを考慮しないかもしれない。
なぜなら、明かりを観測・認識したあとにどのような領域で思考を行うのか、この例えでは定義されていないからだ。
よってこの例えにおいて自分がどうするかは決定的ではない。

この例で分かるとおり、自分は虫と比べ、取りうる行動の範囲が広い。
しかも、どちらも自らの習性として世界に定義されたとおりに動いたのにも関わらないのに、だ。
これが行動もできるのか、反応しかできないのかという違い、つまり知性を持つか持たないかの違いになる。
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