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知性 - 知性についてI

今回は伏線回収です。
つまり、今まで書いてきたものはこれにつなげるためのものでしたという、そういうことです。
ここを転換期として考察記事は次の段階へ行きます。はっきりとは決めていませんがそのつもりです。

今回の内容としてはそのものずばり「自分とはなにか」です。
全部で何回になるかはわかりませんが5回構成くらいになりそうです。
しかし1つ1つは短いのでご安心を。

では【続き】へ。

自分が観測・認識できるものはすべて世界に対して論理的である。
これは「論理的ということについてIII」で書いた。
すなわち木も水も雲も空も、動物も昆虫も植物も、生物も無生物も、無機物も有機物も、錯覚も幻も不確定性原理も世界に対して論理的ということだ。
すべては世界という領域に定義された論理が事象として発現しているだけに過ぎない。

この視点から言えば、自分と他のものには何の境もなく、皆同様に世界の論理の一部、というだけになる。
このことはよく「1は全であり全は1である」といった言葉で表現される。

しかし、このことは自分という立場を否定するものではない。
なぜなら自分(本当は「自分」ではなく「人間」)も他のものも世界の論理によって個であるとされているからだ。
これにより「自分は自分だ」という立場と「自分と他のものには境がなく同じものだ」という視点は互いに否定せず成立している。

前置きが長くなったが、ここから「知性について」の本題に入る。
ここでは自分と他のものとの相違、つまり自分の特徴について書く。
ともに世界の論理の一部である自分と他のものには以下のような違いがあり、それを生じさせる自分の特徴を「知性」と呼ぶ。

例として木と自分を比較する。

両者とも世界に含まれているため、火をつければ燃え、水をかければ濡れ、生きて成長し、いずれ死ぬなど、世界の論理に従う。
上にあげたような共通点だけではなく栄養源や寿命、構成物質、生態などさまざまな相違点はあるが、これも世界で定義されていることであり、世界の論理に従っていることに違いはない。
このように世界の論理に従うことを以降より「反応する」と表現する。
また、世界の論理に従って反応していることを自然だとも表現する。

そこで自分に注目する。
今までで書いたとおり、自分は世界を観測して像を作り認識を得て思考を行う。
これは自分の自然な反応だが、「構造について」で書いたとおり認識領域は世界の領域に含まれるとは限らない。
つまり、認識領域は反応の結果であるにもかかわらず不自然なものであり、それを基にする思考も、思考が生じること自体は自然だが内容が不自然ということになる。

このことを「知性がある」と表現し、知性を持っていることが自分の特徴となる。
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