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GIOの基礎理論 - 3. 自分と思考と論理性

数回に分けて、私の考えの基礎部分を書いていきます。
日常的な感覚からは逸脱したものになっていることを了解のうえで読んでください。

では【続き】で。

現状を確認する。
まず1.では、疑いようのないもの(絶対的真理)を求めて不確かさを持つものをすべて排除しようとした結果、自分の存在すら排除することになった。
しかしそれは自分の認識と相反するので、2.では絶対的真理は諦め、「私には自分が存在しているように感じられる」という認識を根拠として自分の存在を肯定した。

そこで今回は、まず、自分はどのようにして存在しているのかを考える。

どのようにして存在しているかだが、実は、これまでの中にその答えはほとんど出ている。
例えば「我思うと我思う、故に我在りと我思う」だ。
読んでみると「我」と「思う」の二つの単語が多いことに気付く。
「我」は自分のことなので無視するが、そうするとこのことは、「思うこと」「考えること」が自分の存在だと示している。
自分は「思考」として存在しているのだ。

では次に、思考について、その性質を考える。

まず結論を示す。
思考は常に「領域を基にして」「論理的」である。
この2つの性質が思考のすべてである。

例として、簡単な問題を考える。
以下のケース、

C = 1 ;
C = 2 ;

は正しいかどうか、という問題だ。
これについて2つの思考を当てはめ、思考の性質を導き出す。

1つめの思考は「正しくない」というものだ。
数学的に考えて、「C = 1」ならば「C = 2」ではないはずだからだ(セミコロンの意味は不明だが)。

2つめの思考は「正しい」というものだ。
プログラミング言語的に考えて、「Cに1を代入した後に2を代入している」という文になっているからだ。

これらの思考がごく論理的であることは間違いない。
ではなぜ答えに違いが出るのだろう。
論理的というならば、同じ結論に至ってしかるべきではないだろうか。

それについては、思考は領域を基にするという性質が関係している。
問題で与えられたケースは、単に2行の文であり、それはなにものであるとも定まっていない。
しかし2つの思考はそれぞれ、「ケースを含む数学的な領域」と「ケースを含むプログラミング言語的な領域」というものを仮定し、基にしている。
基にしている領域が異なっているので、論理的であるという性質はそのままに、答えが違くなるのである。

思考は領域を基にして論理的であるとは以上の例のようなことを指している。
これはどのような思考についても変わらない。

たとえば一見論理的でないように見える思考でも、それが真となるような領域があるはずである。
なぜなら、そうでなければそもそも思考として成り立つことができないからだ。
非論理的な思考を成立させようとするなら、自分の存在が不確かであったところまで戻るしかない。
自分の認識にしたがって自分が存在すると決めつけ、思考として存在するのだと導いた時点で、非論理的な思考というものは想定すらできなくなっているのだ。

よって今回は、自分は思考として存在し、思考は領域を基にして論理的であると結論する。
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