スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

GIOの基礎理論 - 2. 存在の自覚

数回に分けて、私の考えの基礎部分を書いていきます。
日常的な感覚からは逸脱したものになっていることを了解のうえで読んでください。

では【続き】で。

1.では、自分が存在しているのかどうかは分からない、ということを書いた。
また、その結論が出る前の時点で、他のものすべてについてもすでに同じ結論に達している。
つまり、自分の存在以外のすべてを排除したあと、ついにはそれすらも排除したことになっている。
これらはすべて論理的に導き出した結論であり、そのことについておよそ否定されるところはないように思う。

しかし、いくら論理的に存在すると言えないものであろうと、少なくとも自分自身にとって自分は存在している。
なぜならば、今この状態で「自分は存在しているのか」と考えている自分を認識している自分がいるからだ。
この認識は、論理的には不確か極まりないが、自分にとっては絶対的なものである。
このような思索を拠り所として、私は「自分は存在する」と決めつけることにする。

正確に書くならばこうだ。
「我思うと我思う、故に我在りと我思う」。
なぜかは分からないが、「考えている自分」を認識しているものが在る。
そしてそれは、論理的にはどうであれ自分には否定しえない。
これを自分が存在している根拠としよう、ということだ。

余談だが、デカルトのコギトは、本来これのことを指して言った言葉だったと思う。
しかし、言葉があまり正確でないと思ったためにこのような用い方をした。

余談が続くが、上で書いた言葉により正確を来すなら「我思うと我感ず、故に我在りと我思う」と(おそらく)なるのだが、それについてはまた後日、考えをまとめてから書くことにする。

閑話休題、まとめを書く。
論理的には「確かなことは言えない」自分だが、自分にとっては「存在する」としか考えられないので、「自分は存在する」と決めつけることにする。

よって今回は、自分の存在すら排除されたところで、しかし自分だけは存在すると決めつけた。



最後だが余談。

論理的には「確かなことは言えない」自分だが、自分にとっては「存在する」としか考えられない。
よって「自分は存在する」と決めつけることにする。

このことはつまり、自らが自覚しないかぎり、自分の存在は不確かなままになっているとも捉えられる。
不確かとはどういう事なのかというと、「自分が存在するのか確かなことは言えない」ままでは、自分が行っている思索や行動に必然性は一切生じないのみでなく、論理的に否定もされうる、ということだ。
そういったことを回避するためには、今回のようなことを行うしかない。
サブタイトルにつけた「存在の自覚」とはこのことを指している。
これを経て初めて、自分の思索や行動に意味が生じる。
スポンサーサイト

comment

Secret

気になった言葉・気に入った言葉

プロフィール
GIO

管理人:GIO
内省的に生きることが目標。
ジョジョのことだったらなんでも。
詳しくはプロフィール参照。

-趣味-
PC・ネット
読書(漫画含む)
音楽鑑賞
画像収集&整理
アニメ鑑賞

-二言三言-
生きていますが死んでいるようなものです。多少なりともネタはあるのでいつか更新します。

累計訪問者数
カテゴリ
ついーと
月別アーカイブ
ブログ内検索
ツール紹介系相互リンク
その他リンク
最新コメント
RSSリンクの表示
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

情報提供、相互リンクのお誘い、このブログについての意見など、気軽にメールしてください。
加えて、お薦めの漫画・アニメ・小説・音楽などの情報も収集中です。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。