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『死』とはなにか -とりあえず後編-

ミカるんX
高遠るい『ミカるんX』。この漫画は凄く面白い。

さて、前回に続き「『死』とはなにか」です。
なんだかいろいろ書いていますが、書き終わってから眺めていると「特にたいしたこと書いてないなぁ」という気になって仕方ありません。
だって要約すると至極当たり前の文になるんですもの。
なぜか負けた気分になります。

とりあえず気を取り直して、【続き】へどうぞ。

前回は、人間が人間であるための条件が『考えている自分が存在すること』だということを説明しました。
まとめると
  • 人間はエゴである
  • エゴの本質は「考える自分」である
となります。
そして今回は、では死とはなんなのか、一般の感覚で言う死と、ここで説明している実際の死にはどんな違いがあるのか、などについて書きます。

ではまず、死とはなんなのか、です。
前回の最初の方にちょろっと書きましたが、死とは『考えている自分が存在する』という命題が偽である状態のことだと定義できます。
つまり、エゴがエゴでなくなり、アガペになることを死というのです。
人間は死んだらアガペになるのです。


ちなみに、アガペ(キリスト的な愛とも)を用いた考え方で、「愛の本質は死である」というものがありますが、これは今書いたことそのままの意味です。
生きている人が死ねば、そこにエゴは存在しなくなり、アガペだけが残る。
そしてアガペとはキリスト教でいう愛のこと。
だから「愛の本質は死」と言うことが可能なのです。

ところで、記事中で使用している「愛」という言葉についてですが、これは様々な意味を含んだ、かなりやっかいな言葉です。ときに正反対の意味を持つことすらあります。
例えば、私が考察記事で対称的なものとして使用している「エゴ」と「アガペ」という言葉ですが、「愛」という言葉は、そのどちらの意味でも使用できます。
日本語の「愛」は非常に曖昧な言葉なのです。

というわけで、この記事に出てきた「愛」だけはここで分類しておきましょう。
出てきたのは「アガペ」、「キリスト的な愛」、「愛の本質は死である」のみっつです。
そして、このみっつは全て同じ意味の「愛」です。
解説すると、「愛」全体の中でも特に「キリスト的な愛」というものをキリスト教の用語で書くと「アガペ」となり、「アガペ」を日本語に訳すときに、あまり詳しくない人が訳すと「愛の本質は死」というようになってしまうのです。
ややこしくみえるでしょうが、キリスト教をかじってその本質を見抜くことができれば、考えるまでもなく理解できる程度の話です。
これだけ解っていれば、キリスト教は理解したことになるので、ぜひ頑張ってみてください。


さて、エゴがアガペになる死という現象は、実際にはどういったものなのでしょう。
例として、病床に伏せり今まさに往生せんとしている○○という人と、周りに集まっている医者や家族、友人たちを考えましょう。

○○の周りに集まっている人々から見ると、彼の死とは、動かなくなること、体が冷たくなっていくこと、心拍がなくなること、脳死すること、などでしょう。
このように、死がどういったものかということは人によって違うでしょうが、それぞれが考えていることはつまるところ「○○という個人の肉体にエゴが存在しなくなる」ということです。
もっと彼らよりに言い換えるなら「○○という個人の肉体から「考える○○」を感じ取れない」状態に○○がなったとき、彼は死んだのだと彼らは認識するのです。

ここが死について勘違いしやすいところなのですが、一般の感覚で言う死において、個人そのものは消滅しません。
それをこの例でいうのなら、○○という個人の一部であった肉体が機能しなくなったというだけで、彼個人の本質である「考える○○」が消滅したわけではない、となります。

ただし、肉体が機能しなくなったのだから本質はそこから離れなければならないし、人は肉体以外に空間領域(物質界)に干渉する術を持たないし、肉体から離れた本質がどうなるのかは未だ分からないので、他人からは、個人の本質が肉体を遺して消滅したと見えても仕方のないことではあります。
ここから「死んだ人(正しくは死んだ人の肉体)はもう動かないし、死んだら「今考えている自分」がどうなるのか分からない。もしかすると死んだら自分の何もかもが消滅してしまうのではないか」という不安が生まれますが、勘違いの原因はそんなところに根付いているのだと思います。

また、補足ですが、人は肉体が機能しなくなった時点で本質も同時に死んでいることも考えられるので、もしかするとその不安は結果的に勘違いではないのかもしれません。
しかし、本質というものは「エゴの本質に含まれるものとして「考える自分」だけは疑いえないけど、その他のことについてはまだなんにも分からん」というくらいにしか導き出せていないので、実際の死がどんなものなのかは、少なくとも今は語り得ません。沈黙するしかないのです。
ゴーストの定義プリーズ。士郎正宗、なんとかしてくれ。

とにかく、ここで大切なのは、一般の感覚で言う死(肉体が機能しなくなること)と、実際の死(個人が死ぬこと、エゴの本質が消滅すること)は別の現象である、ということです。

以上で前編後編に分けた「『死』とはなにか」は終了です。
まとめてみると、
  • 人間はエゴである
  • エゴの本質は「考える自分」である
  • 死とは「考える自分」が存在しなくなることである
  • 一般に言われる死とは、肉体が機能しなくなることであり、エゴの本質が肉体から離れることである
  • 一般に言われる死と、実際の死である、エゴが死ぬことは別のことである
  • ただし、肉体から離れたエゴがどうなるかは判明していないし、そもそもエゴ自体が明確に定義されていない
といったことになります。



しかしまぁ、「とりあえず後編」ですので、まだ関連した記事は書いていきます。
この記事の大本の理論である「エゴとアガペ」や、この記事から派生する「葬式について」といったものですね。
いつか書いて記事にするので、それまでお楽しみに。

・・・・・。
読んでいる人がいるといいな!

マジで「僕がいることを喜ぶ人が どこかにいてほしい」だよ。中島みゆきだよ。
いつかどこかで誰かに読まれて役に立てればいいなぁ・・・。

ではまた。
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