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およそすべての「学問」に対する私の見方

実は、「およそすべて」という文は、厨二的(?)にかっこよく書くと「凡そ凡て」と書けるんですよ。
うーん、ロマンチック(?)。

という発見から書き始めた記事です。
「学問とは本来なんなのか」とうことについて触れている・・・かもしれません。

では【続き】へ。

凡そ凡ての学問は言語である。
そこに「文系」や「理系」などの境はなく、分けることに本来なんの意味も利点もない。
そして、言語でない学問は学問ではない。


 コラム
「数学は言語である」なんて言葉もありますよね。
全くもってその通りなのですが、それだけでは視野が狭すぎると私は思います。
ということで、説明は以下の通りです。


言語の定義は「論理で構築され世界を記述するもの」である。

例えば物理であるが、これは空間領域において物体がどのような運動をするのかということを記述した言語である。

また、多少特殊なものに数学がある。これは他の言語を記述するための言語である。前出の物理においても頻繁に使われる(というか数学がなければ物理は成り立たない)。
数学という言語は、数学それ自体では何の意味もなさないが、他の言語を記述するための、一種のツールとして使うのであれば、素晴らしい成果を上げてくれる言語なのだ。
これは私見だが、数学にはこの特性があるので、純粋な数学者というものは自然には存在しえない。しかし現実に「自分は数学者であり、それ以外の何者でもない」という人はいるだろう。おそらく、その人達はその不自然さからどこかに無理が生じているところがあり、それがまれに聞く「数学者には突飛な犯罪者が多い」ということに繋がっているのではないだろうか。
しかし、これも私見だが、「自分は~であり、~でもあり、また~でもあり、さらに数学者でもある」という人については、おそらく物凄い大人物であると予想する。

また、人間が作り出した言語において一番古く一番直接的なものは哲学であると思う。物理の場合は、世界の中でも特に空間領域、つまり物体やその運動についての記述であるが、哲学は世界そのものを記述しようという言語である。
ちなみに今のところ一番の成果はデカルトの「我思う、故に我あり」ではないかと思う。もしくは私が尊敬して止まないウィトゲンシュタインの「およそ語られうることは明晰にk(ry」ではないだろうか。

そして、一番特殊な言語としてプログラミング言語が挙げられる。今まで例に挙げてきた言語は全て「人間がいるこの世界」を記述しようという言語であるが、これはその類ではなく、「新たに人間が創る世界」を記述しようという言語である。
つまり入れ子構造の下層を作ろうという言語だ。
見方によっては、人間が持ち得ている言語において唯一完全な言語だとも言える。

少し話はずれるが、言語の亜種として物語がある。
ただし物語と言っても、ここでは、すでに文字で表されたもののことではなく、個人の頭の中で行われている空想のことを言っている。
言語の定義が「論理で構築され世界を記述するもの」であるのに対し、物語の定義は「論理で構築され世界に限らない論理領域全域を記述するもの」である。
これは、世界とは「真である命題の集合」であり、論理領域とは世界を含む「命題の集合」だという考えからこう書いているのだが、詳しくは(後日記事にするであろう)世界とその周辺の構造を参照してほしい。



以上、学問に対するGIOの見解でした。
どなたか理解してくれると嬉しいです。
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