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【雑記】 2010年の総括

この一年を、GIOがなにをして過ごしたのか、流行に全く関係なく書きます。
書いた人間が言うのも何ですが、読んで面白いのかどうかは疑問なところです。

では、興味のある方は【続き】へ。

まず春休みから夏休みにかけての時期ですかね。
特に春休みは暇に飽かせていろいろ読みました。
その中でも強く影響を受けたものを2つ紹介します。


まずは、アーサー・C・クラーク『幼年期の終わり』。日本では大人気のSF小説だとか。
内容を一言で表すなら「上と外」。もしくは「未知なるもの」ですかね。

あらすじは、

人類が宇宙に進出しようと画策していた20世紀末、突如として宇宙からの来訪者が地球に降り立った。
それは、人類には想像もつかないほど進んだ文明と能力を持ち、科学と理性によって完璧に統率された知的生命体だった。
しかし、彼(ら?)は侵略するでも支配するでもなく、人類に対し友好な態度を示すばかりか、あまつさえ「ユートピア」と呼んでいいほどの環境を人類に提供してくれさえした。
唯一しないのは、人に姿を見せること。唯一禁止しているのは、人の手で宇宙へ出ること。
彼らの目的とはいったい何なのだろう?

といった感じです。

現代の人間の理想像的な彼ら。
彼らにはいったい何が見えていて、なぜこのように行動するのだろうということと、では人間の理想像はこれでいいのか?すでにこうして実物がいるのに?といったことに面白さを感じました。

ここからはネタバレにもなるので注意してください。
しかし『幼年期の終わり』はまさにここが核であり、私にとっては全てです。書かずにはいられません。
ということでこのブログにしては珍しく反転で。
そして、決して抜いてはいけないのが「外」の話。
「上」は彼らだ。それは物語の中で充分に語られている。
では、その彼らに指示を出しているのはいったい何だ?「上」にはさらに「上」がいるということなのか?
しかし、まさか「上(彼ら)」と「下(人類)」の関係だけでこの世が成り立っているわけではないだろう?
もしかしたら「上」の他に、さらに「外」もあるのでは?
そして、人類は「外」へ発展する可能性を秘めていないか?今の認識の「外」へ「外」へと、まさに「上」にすら理解不能な世界へとこぎ出せないのか?
という、「上と外」の概念に感銘を受けました。人類は「次のなにものか」になる可能性だって秘めていると、そう感じました。

そういえばこの「次のなにものか」って『ミカるんX』とけっこう似ています。あれを好きな要因の一端かもしれないです。

ちなみに、この本と映画『チャーリーとチョコレート工場』のおかげで私の座右の銘が決まりました。「上と外」です。
他にも、映画『メン・イン・ブラック』のラストのシーンや、恩田陸の小説『上と外』で初めてこの言葉を知ったことなどが影響している気がします。
知らないものがあったらあなたも要チェック。

まぁとにかく、そんなこんなで、『幼年期の終わり』にはかなり影響を受けています。
ティーンエイジなりモラトリアムなりって、(成長かどうかはともかくとして)かなり変質しやすいのでしょうね。
たとえば、私が30になったときに初めてこれを読んだとしても、これほど認識が変わることはないと思います。
そういった意味で、やはり思春期や青春時代というのは重要ですね。
自分のためだけに使える時間が有り余るほどあり、かつ伸びが半端ではない。
大事に大胆に使わなければなりませんね。

・・・・・。
まだ学生のままでいたい・・・。ティーンエイジやっていたい・・・。とにかく時間と加速度がほしいです。


次は藤田博史『性倒錯の構造』。
精神分析学の学術書です。・・・たぶん。

考察カテゴリの記念すべき(?)記事第一号、『ちょくちょく話題にのぼる『男の娘』を精神分析学的に解析してみる』は、この本の前半部分を主体として書かれています。この本で得た知識を自分の中の感覚と統合して、馴染ませてからはき出してみたものがあれです。
あれは、自分でも意外なほどの量になりました。それでも、あれではまだ書ききれていないくらいだというのが恐ろしくもあり面白くもありますかね。そもそもあれは考察カテゴリとして書かれたものではなかったのだし、いつか、いくつかに分けて書き直されるかもしれません。解りづらすぎるしね。
うん、そうだね、確かにあれから何かを感じ取れた人は相当すごい人だと思う。
今更ではありますが、あれでは何も解りようがないだろうと反省しています。

ということで、ちゃんと知りたい人はこの本を読んでください。理解できるのかどうかはともかくとして(かく言うGIO自身も感覚で補完したところが多い)、きちんと記述してありますから。
それと、男の娘について(正確には男性の性同定と性倒錯について、のような感じだったと記憶)の他にも、SとMの構造や車フェチの話だったり、日本人はみんな文字フェチだ、そもそもフェチってどこから来るの?といったことが書いてあったりと、なかなか面白いので、興味があれば是非読んでみてください。
また、内容を理解してから少し考えれば、男の性欲求がどう形づくられていくのかということと共に、女装好き、ショタコン、男の娘好き、ふたなり好き、ホモなどの違いが明確に見えてきます。特に、前者4つには程度の差しかないがホモは全くの別物だ、ということが解ります。

すでに書いたとおり、この本には様々な内容があり、これらについて書かれているのは『性倒錯の構造』の、多く見積もっても前半部分だけです。他にも学べる、考えられることはたくさんあります。ですので「ジェンダー?興味ねーな」なんて思わずに読んでみてください。

ちなみに、その「男の娘について」を要約してしまうと、
「男の性欲求とは全て、『ファルスを持った母』に起源を持つものだったんだよ!」
「な、なn(ry
(AA略
という短い言葉に尽きるのですが、どう意味なのかということは、やはり読んで確かめてくださいw


これで2つの紹介は終わりましたが、同じ時期に読んだ小説、西澤保彦『七回死んだ男』が凄く面白かったので紹介しておきます。
時間ループ系という、「少し不思議」ちっくな要素がありますが、この本は面白いミステリの最高傑作だと思います。
ただ、小説だったり文学だったりはよく分からないので、「ミステリの最高傑作」という言葉に、そういった方向での突っ込みをするのはご容赦をお願いしたいです。
とにかく、素人目で読んで凄く面白いミステリの小説だったので、誰にでもお勧め、ということで。
文も全く固くなく、普段からラノベしか読んでいない人でも読めるのではないかと思います。いや、ラノベをキャラ萌だけで読んでいる人にとってはやはり無理かも。というわけで、「まともに文章を読める人なら」という文を適当なところに追加しておいてください。


次は夏休みになりますね。・・・いや、夏休みは特になにもなかった気がするなぁ。寂しい人間か。
あ、でも梶浦由記の名前をきちんと認識したのは夏休みでした。
それ以来ずっと聞いてるので、梶浦由記のことは、どう過ごしているのかという一つの重要な要因かもしれません。
それと『Fate/Zero』の音楽担当が梶浦由記だと狂喜乱舞するんだがなぁ・・・。どうなるんでしょうね。4回以上に分けて劇場でやってもほしいですし、まだそれほど情報が出ていない分、期待ばかり高まっています。


閑話休題。

さて、ではいよいよ私的・今年で一番怒濤の展開を見せた前期期末テスト明け、ウィトゲンシュタインとの出会いです。ちなみにテストが怒濤の展開を見せたわけではないです。

テストが終わり、空いた時間と未だ回り続けている頭を有効利用しようと、図書館で難しそうな本をあさっている内に行き当たった本、それがウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』でした。
まず序文がよかったです。序文に

要約するなら、これは人間の思考について、その限界を示すものである。しかしこの言葉は間違っていて、正確には人間の言語についての限界を示すものである。なぜなら、思考の限界を示すためには限界の向こう側から思考の限界を観測しなければならないからだ。

といった文章があったのですが、これを読んで、「こいつは俺と気が合うだろう」と感じ、読むことに決めました。
実際もその通りで、哲学をやったことなどは一度もないのですが、『論理哲学論考』に書いてあったこと(のうち読んだもの)に関しては、一通りなんとなくの意味をとれました。

特に目から鱗だったのが「世界とは物質の総体ではなく、成立している事実の総体である」というもの。これのおかげで、いろいろとピースがはまったり新しい事が見えてきたりしました。
さすがウィトさん良い仕事してますね。
それと、これ(世界がなんなのか、ということとその周辺の構造)についてはそのうち考察記事を書きます。実は、下書きはできているんですよね。授業中に書いたやつが。私にしては珍しく図解の部分もあります。というか結論が図1枚です。
また、『論理哲学論考』より発展した部分もあるので、内容を知っている人でも楽しめるかもしれません。
学問的にどうなのかということは相変わらず分かりませんが・・・。

この他にも『論理哲学論考』には、自分が今まで考えていたことがそのまま書かれていたり、多少の違和感を感じても少し考えれば納得できることが書かれていたり、どう書けば人に伝えられるのかといったことを学んでみたりと、とにかく認識領域がかなり広がりました。
ブログに考察カテゴリを作ろうと思ったのも、『論理哲学論考』を読んだからです。
そしてそれは確実に自分のためになっています。ありがとうウィトさん。
そんな感じです。


さて、次はもう最近の話ですね。高遠るいです。
一度はなにかの間違い手違いスレ違いでこんなブログに来たとしても、さすがに二度は来ない・・・と信じているので、また遠慮無く話題に上げさせてもらいます。もし来たとしても突っ込みを入れはしないと思いますし。

この一年で自分は、ものすごく大雑把な概念に関してはかなりのレベルにまで達したと思っているのですが、実際にそれをどう自分の生き方に落とし込むのか、どう周りに伝えていくのか、という問題が出てきました。

そんなときに知ったのが高遠るいです。
基本的にこの人は、人間にとって必要な よく見回す → よく考える → よく見渡す → といったループがしかっりしていて、それをきちんと自分自身にフィードバックできていて、しかもその上で凄く面白い作品を世に出せるし、極めつけは自身が生きていてかなり面白そうという特長を持っています。

まぁこれは主観ですけどね。しかも「今のところ」の。
これ以上何も知ることが無くても変わるかもしれないし、もし本人を知るようなことがあったらそのときはまた変わるでしょう。
ただ一つ言えることは、この人について今はこう感じた、素晴らしいと思う、ということだけです。

というわけで、なんだか無駄に予防線を張った感じがしますがとにかく、高遠るいは目指すべき形の一つになっているということです。
俺が味わったこの感覚を、他の誰かにも、俺について味わわせたい。といった感じ。
そのためには精進あるのみですね。どうにかなるためにどうにかしなくては。


2010年はこんな感じで過ごした年でした。

さて、ここまで書いてGIOは満足していますが、果たしてこんな記事を読む人がいたのかどうか。考察カテゴリができてからオナニー具合がひどいですね、このブログ。多少は申し訳なく思っております。
読んでくれた人には感謝を。

ちなみに、2010年はこうでしたが、2009年は幸村誠の『プラネテス』『ヴィンランド・サガ』とthe pillowsの年でした。the pillowsは2008年だったかもしれませんがよく覚えていません。
とにかく、何かを意識的に考え始めたのは『ヴィンランド・サガ』を読んで、「愛(というかアガペ)」ってものがなんなのかを理解してからです。おそらく人生で一番大きな気づきだったでしょう。今後にこれ以上は望めないというほど認識が変わりました。
しかし、それでもそれは出発点にすぎないのですよね。もしそこで止まっていたとしたら、そいつはアホってことです。それに気付いたのなら、別のいろいろなものへつなげていかなければいけません。なぜなら、それ気付いただけでは全く意味をなしていないから、です。エゴには必ず意味や理由が必要なので、それより先に進まなければなりません。何せエゴですから。
ちなみに、第37話「愛の定義」は、タイトルがそのまんますぎて今考えると少し笑えます。

えー、話が逸れてしまいましたが、とりあえず、2010年はこうだったと。
今これだけ書いて、いつか読み直して、きっと精神に大ダメージが与えられるでしょうが、成長するにはこれが一番手っ取り早いと思っているので今後も続けていきます。
来年もこんな感じの一年だと良いですね、と、そんな感じで。

みなさまがよい区切りと、よい始まりを迎えられますよう。
では。
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内省的に生きることが目標。
ジョジョのことだったらなんでも。
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