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いわゆる「流行り物」をなぜ面白く感じないのかについて

GIOは流行り物が好きではありません。
こう書くと誤解されそうですが、流行り物が嫌いなわけでも蔑んでいるわけでもありません。流行り物自体を否定するつもりもありません。
ではいったいなんなのか。
それをこれから書いていきます。

興味のある方は【続き】へ。

※『考察』カテゴリの記事ですが、あまり推敲していないので雑記のようなものになっています。それでもよければどうぞ。
※この記事には「流行り物」に対する文章と、それの補足があります。書いている内に補足の方が主体になってきた感があるのでそれを考慮しながら読むのもいいかと思われます。

「流行り物」の必須項目として、以下が挙げられます。
  • 万人に受け入れられるものである必要がある
  • そのためには分かり易い内容である必要がある
  • また、現状の社会構造より、メディアが宣伝をする必要がある(そうしないと人々に「流行り物」として認知・認定されない)
ではツッコミを入れていきましょう。

まずはひとつ、「分かり易い内容 ≒ 浅い内容」ということについて。
内容が浅くても特に問題はないのですが、それをいつまでも供給され続けるとさすがに飽きます。
そういったものを純粋に楽しめるのは(精神的に)幼い頃だけではないでしょうか。
まぁ、特に問題にするべきことでもないのでここではスルーで(精神的に幼いということについてメスを入れたくもありますが)。

次はメディアの問題。
「メディア(特にテレビ)でとりあげられたもの ≒ 一般常識、共通の話題」という構図ができあがってしまっています。
これ自体は否定するようなことではありませんが、現状を鑑みると、メディアのネタ切れ、それによる良心的でない無差別なネタ選別、さらに金儲け主義や情報操作、etcetc...に加え、メディアに依存している人々の存在(しかも圧倒多数で、依存していることに気付かないもしくは正しいと思っている)等々が問題になってきます。
現状の社会というものは、人口が肥大しすぎたせいでメディア無しには成り立ちませんが、それでもこれほどまでに無意味で時々悪意のこもった『「流行り物」で金儲け』に依存するというのは、少し考えてみれば信じられない愚行です。
ただの一組織、一業界が暴走するのはまだ「そういうこともある」と納得できますが、これほどまでに多くの人間がその暴走に依存しているという状態は「救いがたい衆生とは本当にいるものなのだな」と思わないと人生やっていけません。

そして、この二つの合わせ技が強烈です。
つまり
メディアが「流行り物」を決め、宣伝する

なんの疑いもなく受け取り、なんの疑問も持たず消費する

最初へ戻る
という無限ループ。無限ループ怖い。
しかもそのループが「常識」という名で正当性を得ているように見えますからね。もし自身が匿名でなく相手を名指しで指定してこういったことを言った場合は自分自身に不利益が生じるでしょうから、例えこのループ構造を分かっている人間が大多数だとしてもそういうことをする人はごく少数になるでしょう。

といったところでまとめ。
「流行り物」はGIOには
  • 底が浅い
  • 決して面白いものを作ろうと思っていないものによって作られている
  • そして作為的である
から、面白くも何ともないのです。というかできるだけ触れたくない、といった感覚です。
自分の価値と価値観が崩されるからその流れに乗りたくないし、あえて批判して不利益も被りたくない。そんな感じ。
それなのに、いかにも楽しげに大騒ぎするメディアでもない人間がいます。よく見かけます。それが不思議でしょうがないのです(サクラだったりもするのでしょうが)。
いったいどういう論理で頭を動かしているのでしょう。
なにも考えていないというのが妥当な気もしますが。



補足。
「流行り物」を面白くない理由はもうひとつあります。すでに書いていることですが、「流行り物」に純粋な面白さを感じないということです。熱血モノにしろ感動モノにしろお涙頂戴なモノにしろコミカルなモノにしろ、総じて底が浅い。純粋な面白さをまったく感じません。
そういうものを楽しむのは子供の頃だけでいいと思うんだ・・・。楽しめるのも子供だけだと思うし。

で、解決法も一応提案しておきます。
一言でまとめると「それは本当に面白いものなのか」「面白いってなにか」ということを一人一人が考えるようにすることです。
メディアももうどうしようもないところまで来ていますが、所詮は客商売だしメディアの構成単位は人だし、一人一人がきちんと考えるようになればいいので、特別な解決案を出すまでもないと思います。
ということで解決策は「一人一人が考える」ことです。

でもこれって凄くめんどくさいですよね。
「そもそも面白いかどうかなんて考えるようなことじゃないだろ」と思わずにはいられない人もいるだろうし。
実はそれがすでに「無限ループ」という名の行き止まりに続く道へ片足を突っ込んだ状態なんですよね(そして時間経過によって立派なループの住人となる)。
そういう人はこう考えます。「誰かが面白いと言っているんだから俺にとっても面白いんだろうし俺が面白いと言っても他人に受け入れられるだろう」とか「テレビで面白いと宣伝していたから面白いんだろう」とか。あとは人付き合いのためだけに「面白い」と言っているだけの人もいますね。
この人達は、そもそもが何か勘違いをしています。これは面白いかどうかに限った話ではありませんが、なにかに対してなにがしかの感想を抱くということは、完全に主観によるものです。そこに他人の言動は入り込む余地がありません。
そして、制作側の意図もその例外ではありません。

では補足のまとめに入りましょう。
つまり、面白さの基準として、「他人が面白いと言っていた」というのは本質的に間違っていて、本来は「私は面白いと感じた」というものであるべきなのです。
そして、「私は面白いと感じた。他人も面白いと感じているみたいだ」というものこそが「流行り物」でなければなりません。それでなければ面白いと感じるはずがありません。

「流行り物」について、そこだけ間違えなければ人もメディアもどうにかなります。
ぜひまともになってもらいたいものです。

では。
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ジョジョのことだったらなんでも。
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