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他人の不幸は笑ってもいいものか (他人事と自分について)

「他人の不幸は蜜の味」とはよく言ったもので、他人が競争から脱落することがそのまま自分の勝利に結びつくという意味以外にも、よくあるTVのバラエティ番組やお笑い、果ては身近な人間関係においても見られるように、いじめられる役がいればそれ以外の人間は笑って過ごせる、といった意味にもとることができます。
この言葉を初めに使った人間がどのような意味を込めていたのかは分かりませんが、現代まで残っているということは、それだけ普遍的な真理を突いた様々な解釈ができる言葉だったということでしょう。
おそらく、言葉の意味とそれを発した人間の意志との間には直接の関係はない、という好例なのではないでしょうか。

さて、本題である「他人の不幸」ですが、これは果たして笑っていいものなのでしょうか。
公序良俗に照らし合わせれば否であるし、組織を作るときや集団をまとめたいときは可であるし、誰がどう結論をつけるかはそれぞれの裁量に任されているように思えるのではないでしょうか(私はそうは思いませんが)。

そこで、それに関しての私の考えをまとめてみました。
では【続き】へ。
長くなるし、理解するのも難しいので、まず結論を書きます。

「この選択肢の中に正解はなくどちらも不正解である」
「問題に対する正しい解答とは『他人事をなくすこと』である」

では、以下よりなぜその結論に至るかということを説明していきます。このふたつを頭の隅に置きながら記事を読み進めてください。

まず、人間というものは自分自身のことにしか本質的に興味を持ちません。
自分さえ得ができれば、自分さえ良ければ、あとはどうでもいい、という生きものが人間です。
これについての詳しい話は「『愛』について」というようなタイトルでいずれ書く予定ですが、揺るぎようのない事実であることだけは書いておきます。

しかしここで当然、「人間は他人と一緒に生きているし、他人を必要としていない人間なんてどこにもいないし、そもそも人間は一人だけでは生きられないではないか」という反論が出てくると思われます。
私が先に書いたことは正論であり事実ですが、この反論もまた正論であり事実です。

では、双方が同時に成立する状態とはなにかというと、いわゆる「オレがオマエでオマエがオレで」といったような状態です。
つまり、肉体に依存している個人を自分とするのではなく、複数の個人を自分として認識する場合において双方が同時に成立するのです(しかし個人であることをやめろといっているわけではない)。簡単に身近なもので例を挙げるなら「帰属意識」「集団意識」といったものが近いでしょう。意味の違うところもありますが。

言葉にして書くと奇妙なことのように思うでしょうが、これは特に珍しいことではありません。
心の通い合った個人同士ならば、相手のことを自分のように(または自分のこと以上に)興味を持って接するでしょうし、良くするでしょうし、思いやりも、厳しくも、優しくもするでしょう。なぜなら、「人間は自分のことにしか興味がなく」「相手のことも自分の一部だと認識している」からです。
言葉としても「自分の身が引き裂かれるような思い」といったものがありますね。それとか「One for all, and all for one.」のような。感覚としてはそれです。

コラム1
よく「人としての器が大きい」や「人間が大きい」といった言葉を聞きますが、そういった人には感覚としてこれに通じるものがあるでしょうし、原理としてはこれに間違いありません。肉体に依存した個人を自分と認識している人には分かりづらい感覚でしょうが、この感覚を理解して体現できるようになるまでは「大人」になったことにはならないのでぜひ努力して理解・体現できるようになってください。
ちなみに私は少しでも体現できているかどうか微妙なところ、といった感じです。本来ならこんな風に文章にするまでもなく体感だけでこのくらいの感覚を手に入れられるはずなのですが(手に入れられる社会が構築されていなければならないのですが)、今の社会は構造的に欠陥があり、さらに形骸化し、そこに腐ったものが詰め込まれていて、それが周りも腐らせているので、私のように理論で考えていかなければその感覚を理解することは難しく、理論で理解してしまっている故に体現している人など全体の数%にも満たないという状態に陥ってしまっています。どうにかしなければならない状態だということは確かです。

今までの話をまとめると、

人間は自分のことにしか興味がなく、他の肉体に依存している個人のことも自分と認識することができ、自分の認識領域を増やすほど大きな人間になる

ということになります。
そして、私はこれこそが人間の本質であり正しい方向であり、人間全体のために個人に課せられた唯一の義務であると思っています(逆に、これさえ満たしておけばあとはなにしたってオッケー、みたいな感覚もある)。
理想を言えば、個人全員が人間全体を自分だと認識することが望ましいです。そうでないと人間という生きものはこれ以上進化しようがないですから。

これをこの記事の本題である「他人事」に絡めてみると、次のような答えが得られます。
それは

そもそも他人事は存在してはいけないのだから笑っていいのかどうかなど考える必要がない

というものです。

コラム2
以上が今回のテーマである「他人の不幸は笑ってもいいものか」に対する解答なのですが、実際にそれを体現できる人はいません。それはひとえに人間の認識できる領域の限界を悠に超えた規模の社会を人間が構成してしまっているからであり、それ故にこの解答は理想論とならざるを得ず、常に不正解を選択し続けなければならなくなっているのです。ここに現状の社会の構造的な欠陥があり、ほとんどの不自由や不満や不平や理不尽などはこれが根幹にあります。まぁそれは今回の本題ではないので次回以降の考察カテゴリの記事に譲ることにしましょう。

これでこのテーマに対する結論が出ました。つまり、「他人の不幸」は笑っていいわけでも笑ってはいけないわけでもなく、「他人の不幸」が存在すること自体がおかしい、ということです。
そして「他人の不幸」を無くすためには、他人のことも自分だと認識する必要があり、それができて初めて「大人」と呼ばれるようになる、と。
この記事で解ってほしいことはこれに尽きます。

記事を読み進めて分かるとおり、これを理解するのはかなり難しいと思いますが(しかもこの記事の情報だけではいつまで経っても理解できないと思う)、理解してしまえば社会や人についてのかなり広い範囲に応用して様々な問題に正しい答えを導き出すことができるようになり、社会の間違った部分に惑わされない「人として正しい生き方」ができるようになります。
それができれば生きることがかなり楽で楽しいものになるはずですので、この記事に書いてあったこと、この記事のようなことをあらわしているなにかについて考えてみてください。

では。
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