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マザー・テレサの「愛の反対は憎しみではありません(略)」を俺なりに解説してみる

 マザー・テレサとは
マザー‐テレサ【Mother Teresa】
(本名 Agnes Gonxha Bojaxhiu)カトリック修道女。ユーゴスラヴィア(現マケドニア)生れ。インドのコルカタで貧者・孤児・病人の救済に献身。「神の愛の宣教者会」を設立。ノーベル賞。(1910~1997)
 広辞苑より

知ってますよねマザーテレサ。日本にも何回か来ています。

で、この人がノーベル賞の授賞式で言った言葉が有名です。
曰く、「愛の反対は憎しみではありません。無関心なのです」。
おそらく誰でも聞いたことがあるでしょう。

この言葉をGIOなりの理論で解説します。

「愛を理論で説明するなんて無粋だ」なんて声も聞こえてきそうですが、それは惜しい間違いを犯しています。
愛に理屈はないようにも見えますが、それはただ単に理解の範疇を超えてしまっているだけで、そこにもまた理論は存在します。
そこの理論を人間が理解できるかどうかは別として、ですけど。
実際GIOも恋に落ちたら理屈どころじゃなくなるだろうし、『人間の深層の理論』を『人間のほんの表面である人格』が理解できるようになることはないでしょう。

前置きが長くなりましたが、とにかく「愛を理屈で説明する男の人って・・・」という先入観を捨てて欲しいと、それだけです。

注意
言葉を間違って使っていたりかんちがいな理論もあると思われます。
が、そこは目をつぶってGIOが言いたいことを感じ取ってくれれば嬉しいです。
そしてもちろんのこと、これは『GIOの独学に基づくGIOの持論』です。学問的、もしくは実際的な正しさは求めないでください・・・。
注意 おわり

では【続き】へどうぞ。

「愛」と日本語で言っても、その定義には様々あります。
おおざっぱに分けると「アガペ(神の愛)」と「自己愛(人間的な愛)」の二つがあります。
それぞれについてはこの記事の最下部に簡単な説明があるので知りたくなったら読んでみてください。おそらくこの説明だけでは理解できませんが。

閑話休題。
マザー・テレサはキリスト教会のシスターですが、今回の話にアガペは関係ありません。
アガペ以外の全ての愛についての話です。

まず、マザー・テレサが言っていた「愛」の定義について。
これは恋なり慈しみのようなものではでなく、それらも含まれるもっと広いものです。
で、それは簡単に数直線で表すことができます。こんな感じ。
ai
画像は手作り感丸出しで間抜けな感じがしてどうしようもないのですが、これら全部ひっくるめて「愛」。「好き」も「嫌い」も含まれます。
「愛」とは憎しみも内包したものだということで、言葉の前半部分の解説は終了。

さて、後半部分ですね。曰く「無関心なのです」。
前の画像ではあえて描きませんでしたが、数直線ならどこかに0の部分があります。
ai
そして、その0という部分こそが無関心という状態なのです。もしくは、他人に対して数直線自体を作らないこと自体が無関心という状態です。
「好きでも嫌いでもない」、「そもそもその人がいるということを知らない」、「知ってはいても興味がない」。
「好き」でも「嫌い」でもその感情を「愛」だと定義したのに対し、その反対は「好きでも嫌いでもない」、とこういうことです。
これで後半部分の解説も終了。次の段落からはまとめです。

マザー・テレサは貧者・孤児・病人の救済に献身していました。
しかし、うまくいかないときの方が多かったでしょう。
その原因の大半はおそらく「無関心」な人々にあると思います。
例えば、ある人がマザー・テレサに持っている感情が「好意」ならばマザー・テレサの活動はうまくいくでしょうし、逆ならば一時的にうまくいかなくなりますが何らかの手段で働きかけ「好意」に変換することができます。
しかし「無関心」だとどうでしょう。どんなに働きかけてもまずは「愛」を持ってくれないと話になりません。どうにもならないのです。
そんな人が世界中には大勢います。むしろ「愛」をもたない人の方が大多数でしょう。
こういったことを指してマザー・テレサはあの言葉を発したのだと思います。
「愛の反対は憎しみではありません。無関心なのです」と。

以上で解説は終わりです。
では。



 アガペ
アガペというのはキリスト教でいわれている愛のことですね。言葉にしちゃうと『求められたら無条件、無制限、無尽蔵に与えること、または与えることのできる存在』といったものです。幸村誠の『ヴィンランド・サガ』を読むとわかりやすいです。

 自己愛
自己愛はわかりますよね。ナルシシズムだったりエゴイズムだったり。
でもそれだけじゃなくて、他の人のために何かしたいなんていういわゆる良心的な思いも掘り下げれば自己愛の裏返しだよ、といった意味のものも含みます。自我がある人間としてはどうしても切って放せない関係にあるものです。
キリスト教なんかでは『原罪』とも言われていますが、人間に生まれた以上その罪を償おうとしても意味ないと思います。償おうとするのもアガペを得ようとするのも結局自己愛から派生しているものですから。しかし知ることは大切だと思います。
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Secret

maza-teresa

題 : マザー・テレサさんのこと
.
 マザー・テレサさんが、初めて、インドの社会に入って行っ
た時は大変でした。
 彼女にあったのは自分の志(こころざし)だけ。
 彼女を受け入れたのは、インドの「ヒンズー教の方たち」で
した。
 彼女の活動のための家を貸し、彼女の活動のための手助けの
人達が駆け付けました。
 元々、マザー・テレサさんのやりたい志の事は「ヒンズー教
の方達はしていました」。
 だから、正確に言えば、「マザー・テレサさんが、志を同じ
くする人たちの中に入って行った」なのです。
 ヒンズー教の方達は、多神教。
 イエス・キリストやマリアもヒンズー教の神々の一人として
いる宗教。
 この様な宗教教義の面からも、マザー・テレサさんもスムー
ズに受け入れられました。
 一神教のキリスト教には「異教徒を殺せ」の教義がある様に、
異教徒を忌む宗教ですので、この様なスムーズな受け入れとは
ならなかったでしょう。
 マザー・テレサさんは、最初、キリスト教からは、まったく、
孤立無援。
 手助けはヒンズー教の方達だけでした。
 彼女が、アメリカの映画の題材にされ、注目されるようにな
って後、キリスト教が、今までは何も彼女に注目せず、手助け
もしなかったが、世界の注目を集める様になってから、彼女と
行動をする様になった。
 今、キリスト教は、彼女を「広告塔」にしていますが、そし
て、ヒンズー教の方達は黙っていますが、真実は、この様な経過
をたどった。
 マザー・テレサさんが「ノーベル平和賞」を受賞しましたが、
同時に「ヒンズー教の方達も受賞すべき」でした。
 ノーベル賞選考委員はキリスト教徒だけ、その点、「お手盛
り」となった。
 インド政府は、彼女が亡くなられた時、国葬として大きな葬儀
を行ないましたが、キリスト教組織にも、この様な、大きな度量
が欲しいところです。
 また、彼女のキリスト教は、ビンズ‐教との共同生活から宗教的
にも影響され、彼女独特のキリスト教となっている。ヒンズー・
キリスト教とか、テレサ・キリスト教と呼ぶべき形となっている。
参考URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
  URL: http://32983602.at.webry.info/

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管理人:GIO
内省的に生きることが目標。
ジョジョのことだったらなんでも。
詳しくはプロフィール参照。

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