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泣けるコピペ

なんとなく『人とのつながり』みたいなものを感じたくなったので、自分が読むついでに記事にしてみました。
長いので余裕のあるときに読んでください。

324 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2007/03/30(金) 01:10:48 ID:yTInFFhw
武勇伝とは違うかもですが。

大学の頃、同じサークルだったA。人を陥れたりこき下ろしたりするのが好きな、すごい嫌な男だった。
障害者が歩いてると「おい、シンショー来たぜシンショー。なんかくさくねー?www」とか言い出すタイプ。
人の紹介をする時は親でも友達でも彼女でも欠点から説明するような奴。

卒業してからは連絡をとることもなかったのだが、偶然街中で会ったのでお互いの近況報告をした。
Aは今度結婚するという。
相手は会社の先輩で、五歳年上。年の差を理由に交際を断られたのだが、何度も何度もアタックしてOKもらって、やっと結婚なんだ!とすごく嬉しそうな顔で言っていた。
「彼女すごい綺麗でさ、俺絶対この人と結婚する!この人じゃないと意味がない!って思ったんだ!」
あのAが彼女の悪口を一つも言わないなんて、さぞかし美人さんなんだろうな、と思った。

Aの結婚式の二次会に招待されたので行った。
新婦さんは美人というほどでもない、それなりに普通の、でもあったかい感じのする人で、右手の手首から下がなかった。
先天的に欠損しているらしい。Aは俺に彼女の話をする時、その事は一言も言わなかった。食事の時も、片手で不便そうな場面になるとAがおしぼりを差し出したりとか、すごく自然にフォローしていた。人が困ってるの見てニタニタしてるような奴だったのに。

彼女がAの性格を変えたんだな、新婦さんGJ!って思った。

2年前旅行先での駐屯地祭で例によって変な団体が来て私はやーな気分。
その集団に向かって一人の女子高生とおぼしき少女が向かっていく。

少女「あんたら地元の人間か?」
団体「私達は全国から集まった市民団体で・・・云々」
少女「で、何しにきたんや?」
団体「憲法違反である自衛隊賛美につながる・・・云々」
少女「私は神戸の人間や。はるばる電車のって何しにここまで来たかわかるか?」
団体「・・・・?」
少女「地震で埋もれた家族を助けてくれたのはここの部隊の人や。
   寒い中ご飯作ってくれて、風呂も沸かしてくれて
   夜は夜で槍持ってパトロールしてくれたのもここの部隊の人や。
   私は、その人たちにお礼を言いに来たんや。
   あんたらにわかるか?
   消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が。
   でもここの人らは歩いて来てくれはったんや・・・・」

最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は次第に涙声に変わっていった。
あまりにも印象的だったのではっきり覚えている。
団体は撤退。
彼女は門をくぐった時に守衛さんが彼女に社交辞令の軽い敬礼ではなく直立不動のまま敬礼していた。

16 名前:水先案名無い人 投稿日:2004/03/21(日) 02:24 ID:ykGfugCI
志村へ
                                                          
この手紙をもって俺のコメディアンとしての最後の仕事とする。
まず、俺の芸能人生を解明するために、DVDを買うようお願いしたい。
以下に、コントについての愚見を述べる。
コントを考える際、第一選択はあくまで「笑いを取れば勝ち」という考えは今も変わらない。
しかしながら、現実には若手芸人の多くがそうであるように、他人をバカにして笑いを取ったり、
素人にツッコミを入れるだけで内輪受けに走っている事例がしばしば見受けられる。
その場合には、企画段階から綿密な計算と準備が必要となるが、残念ながら未だ満足のいくコントには至っていない。
これからのコントの復活は、綿密な企画立案、それとライブの復活にかかっている。
俺は、志村がその一翼を担える数少ない芸人であると信じている。
能力を持った者には、それを正しく行使する責務がある。
志村にはコントの発展に挑んでもらいたい。
遠くない未来に、素人いじりや他人をこき下ろすコメディがこの世からなくなることを信じている。
ひいては、俺のネタを研究した後、計算された笑いの一石として役立てて欲しい。
リーダーは活ける師なり。
なお、最後に、 お笑い芸人でありながら、多数の人を泣かせて旅立ったことを、心より恥じる。

                                   いかりや長介

992 名前: 名も無き冒険者 [sage] 投稿日:2006/11/26(日) 17:08:21 ID:4O9dC8/n
1000なら明日は学校でいじめられない。


993 名前: 名も無き冒険者 [sage] 投稿日: 2006/11/26(日) 17:16:47 ID:z2XJcdtU
1000じゃなくてもお前がいじめられてたら助けてやる

京都市伏見区桂川河川敷で2月1日、無職片桐康晴被告が、
認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件の初公判が19日に行われた。
事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。
片桐被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され一命を取り留めたとの事。
片桐被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。
母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。
片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。
生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。
介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。カードローンの借り出しも限度額に達し、デイケア費やアパート代が払えなくなり、
06年1月31日に心中を決意した。

「最後の親孝行に」

片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で
「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は
「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。片桐被告が
「すまんな」と謝ると、母は
「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は
「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言った。
この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、
自分も包丁で首を切って自殺を図った。
冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、
眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。
裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。
殺害時の2人のやりとりや、
「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った

190 名前:名無しの心子知らず 投稿日:02/11/18 21:13 ID:TJDytte7
良い父親とは何でしょうか。

休みの日には遊びに連れて行ってくれる父親でしょうか。
優しい父親でしょうか。
よく話を聞いてくれる父親でしょうか。

私は父に誉められた記憶は多くありません。
「よし」と一言言ってもらうのが最高の報酬でした。
一緒に遊んだ記憶も多くはありません。
父はいつも大きく、無口で、岩のようでした。

父が若くして死んだとき、私は初めて、父の偉大さを知りました。

駆けつけてくれた人の数。
泣きながら棺を叩き、俺より先に死ぬとは何事か、と怒鳴った人。
まだ恩を返していないのに、と泣き崩れた人。
通夜の後、棺の上にコップを置いて、いつものように父に話し掛け、酒を酌み交わす父の友人達。
8回忌を迎えた日、呼んだわけでもないのに集まってきた多くの人達。

191 名前:名無しの心子知らず 投稿日:02/11/18 21:14 ID:TJDytte7
父は骨髄癌の激痛の中、死のわずか10分前に私を呼んで言いました。

母を守れ。弟を守れ。妹を守れ。祖父を守れ。祖母を守れ。
男は、誰かを守って死 ね。俺のような死に方はするな。
俺が死んでも泣かなくていい。
人が死ぬとはどういうことか、よく見ておけ。

そして母に、かすれる声で言いました。

皆によろしく伝えてくれ。悪いな、俺はここまでだ。

最後の言葉でした。

主治医の先生が心臓マッサージをしてくれましたが、蘇生はしませんでした。
最後は母が、先生を止めました。
主人を楽にしてやってください、と。
私はただ圧倒され、何も言えず、何も出来ず、涙を流すだけでした。

私は今月、父親になりました。

643 名前: おさかなくわえた名無しさん 投稿日: 2001/07/17(火) 03:39
家族でお出かけ中、4つ違いの妹(当時小学生)がビタン!と転倒、泣き叫ぶ
妹を親父は抱き起こし、泣きやむまでおぶって歩いた。
厳しい親父だったし、俺はそんな事してもらった事はなかった。小坊だった俺
はその場では文句も言えず、後で母親に「ずるい…」とか拗ねてみせた覚えがある。
それから十余年、俺が一九の時に親父が胃ガンになった。
告知はしていなかったが親父は自分の病状に気づいている様子。
見舞いに行ったある日、親父は俺に こう言った。
 「10歳の時、○子(妹)が転んだ事、覚えてるか?」
 「うん」
 「母さんから聞いた。悪かったと思ってる。でもな」
 「今更何だよ」
 「○子は優しく育って欲しいから助けた。おまえは強く育って欲しいから
  放っておいたんだよ」
 「・・・・」
泣いちゃいけないと思いながら、泣けて仕方なかったよ。

875 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2008/03/02(日) 20:28:28 ID:2rBfCUUt
ボランティアに言った病院で難病の子供が言った言葉です。

「○○くんはいつも教科書や本を読んで勉強しているね?
 大きくなったら何になるの?」
「僕は大人にはなれないんだ。僕の病気は治らないから。」

言葉継げずにいると、

「でも勉強がしたい。せっかく生まれてきたから、いっぱいいろんなことを知りたい。」

わずか、11歳の子でした。
私はこの言葉を思い出すと、今でも自らの浅学が恥ずかしくてたまりません。

小学生のとき、少し足し算、引き算の計算や、会話のテンポが少し遅いA君がいた。
でも、絵が上手な子だった。
彼は、よく空の絵を描いた。
抜けるような色遣いには、子供心に驚嘆した。

担任のN先生は算数の時間、解けないと分かっているのに答えをその子に聞く。
冷や汗をかきながら、指を使って、ええと・ええと・と答えを出そうとする姿を周りの子供は笑う。
N先生は答えが出るまで、しつこく何度も言わせた。
私はN先生が大嫌いだった。

クラスもいつしか代わり、私たちが小学6年生になる前、N先生は違う学校へ転任することになったので、
全校集会で先生のお別れ会をやることになった。
生徒代表でお別れの言葉を言う人が必要になった。
先生に一番世話をやかせたのだから、A君が言え、と言い出したお馬鹿さんがいた。
お別れ会で一人立たされて、どもる姿を期待したのだ。

私は、A君の言葉を忘れない。

「ぼくを、普通の子と一緒に勉強させてくれて、ありがとうございました」

A君の感謝の言葉は10分以上にも及ぶ。
水彩絵の具の色の使い方を教えてくれたこと。
放課後つきっきりでそろばんを勉強させてくれたこと。
その間、おしゃべりをする子供はいませんでした。
N先生がぶるぶる震えながら、嗚咽をくいしばる声が、体育館に響いただけでした。

昨日、デパートのポストカードなどに美しい水彩画と、A君のサインを発見いたしました。

N先生は今、僻地で小学校で校長先生をしております。
先生は教員が少なく、子供達が家から2時間ほどかけて登校しなければならないような
過疎地へ自ら望んで赴任されました。

N先生のお家には、毎年夏にA君から絵が届くそうです。
A君はその後公立中高を経て、美大に進学しました。
お別れ会でのN先生の挨拶が思い浮かびます。

「A君の絵は、ユトリロの絵に似ているんですよ。
 みんなはもしかしたら、 見たこと無いかもしれない。
 ユトリロっていう、フランスの人でね、街や 風景をたくさん描いた人なんだけど。
 空が、綺麗なんだよ。
 A君は、その才能の代わりに、他の持ち物がみんなと比べて少ない。
 だけど、決して取り戻せない物ではないのです。
 そして、A君は それを一生懸命自分のものにしようしています。
 これは、簡単なことじゃありません!」

A君は、空を描いた絵を送るそうです。
その空はN先生が作り方を教えた、
美しいエメラルドグリーンだそうです。

Saga2は思い出のソフトなんだ……今でもよく思いだしては切なくなってます。

俺さ、産まれた時から酷い小児喘息だったのよ。
夜中にかーちゃん起こして病院連れてってもらうなんてしょっちゅうだったし、
小学校あがって更に病状が悪くなって。もちろん体育なんかでれないし、
みんなと外で遊ぶ事すらできなかった。

んで、小五になってからほぼ毎日病院行って吸入するくらいまで悪化しちゃって、
そのまま3週間入院する事になって。。。

んでね、そん時4人部屋の病室だったんだけど
二人はおばあちゃんとおじさん、んでもう一人は俺と同い年くらいの女の子だった。
俺、昔からすげぇ人見知りが激しい上に物凄い照れ屋で、なかなかその同室の人達と仲良くなれないで
一人で勉強してるかゲームボーイやってるかだったのよ。
そん時家から持ってきたソフトが「Saga2」で、もう一回クリアしたやつだったんだけど
ヒマだしもっかいやるかな、って毎日やってたワケさ。

んで入院して一週間立った頃、俺がゲームボーイやってる時は
なんかその同室の女の子がじーっとこっち見てる事に気づいたんよ。俺が彼女の方みると慌てて目逸らすんだけどね。
もしかしてやってみたいのかな?と思って、「良かったらコレ借そうか?」って聞いたのよ。

そしたら目ぇ輝かせて「いいの?」っていうもんだから、「もう飽きたからな」とか照れ隠しして借してあげたさ。

でも案の定操作が分からないらしく、画面とずっとにらめっこしてるもんだから
俺が操作教えながら一緒にゲーム進めることにしたんよ。
パーティーは人間・男の主人公「リョータ(俺の名前)」で、仲間は人間・女「さやか(彼女の名前)」
あとはエスパーガールとロボットにそれぞれ同室のばあちゃんとおじさんの名前つけたっけ。それからどんどんそのコと仲良くなって、二人でゲームボーイやるだけじゃなく、色んな話もするようになった。
学校の事、家族の事、好きな音楽の事、近くに迫った夏休みの事…


125 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage]:2008/10/26(日) 02:34:18.47 ID:p+xV8pxo0
それからの時間はあっという間だった。すぐに俺が退院する時がやってきた。
看護婦や同室のおじさん、ばあちゃん達が口々に「おめでとう」って言ってくれてる中
彼女だけ泣いてた。それ見て俺も泣きそうになったさ。でもグッと堪えて
「オマエ退院するまでコレ借してやるよ。退院したら連絡くれよな」ってそのままゲームボーイとSaga2置いていったのよ。

それから何回もお見舞しに行こうと思った。…でもいざ行こうかと思うとなんか照れくさくて行けなかった。
連絡がないまま1年半が過ぎて、俺も小学校を卒業する頃になった。
せめて卒業前にもう1度会っておきたいな、と思って意を決してお見舞に行く事にしたんよ

病室に行ったけど彼女はいなかった。病室入口の名前欄にもない。
もうとっくに退院してたのかな…?と思ってとりあえずナースセンターで聞いてみた。

「遠い所にいった」とかうまくはぐらかされたけど、俺も小6だったし、そこまでバカじゃない。
その場の空気や後ろの看護婦が泣き出したのを見ても明らかだった。
俺がショック状態で呆然としてる中、その看護婦が
「ああ、そういえばさやかちゃんから、リョータ君が来たら渡しといて、って言われた物があるのよ」
と言って俺にそれを渡してくれた。借してあげたゲームボーイとSaga2だった。 俺はそれを受けとって家に帰った。
帰るなりメシも食わないで、暗い自分の部屋でゲームボーイのスイッチを入れた。
懐かしいあのOPの音楽。それと一緒にでてくるロード画面。
一つは彼女と俺が一緒にプレイしたデータ。あの時からほとんど変わってない。
懐かしさと悲しさで胸がいっぱいになった。

もう一つのデータはやたらレベルの低いデータだった。
最初から始めてすぐ飽きたんかな?と思ってそのデータをロードしてみた。


126 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage]:2008/10/26(日) 02:34:30.81 ID:p+xV8pxo0
パーティー四人の名前がこうなっていた。

「リョータ」

「いろいろ」

「ありがと」

「バイバイ」

…今でもSaga2のOPの曲を聞くと涙が出るよ。
お見舞行ってあげられなくてゴメンな…。

293 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2008/10/26(日) 04:22:19.92 ID:dNEoLRlT0
親父の手話

俺には母親がいない。 俺を生んですぐに死んでしまったらしい。
生まれたときから耳が聞こえなかった俺は物心ついた時にはもうすでに
簡単な手話を使っていた。

耳が聞こえない事で俺はずいぶん苦労した。

普通の学校には行けず、障害者用の学校で学童期を過ごしたわけだが、
片親だったこともあってか近所の子供に馬鹿にされた。
耳が聞こえないから何を言われたか覚えていない( というか知らない )。
が、あの見下すような馬鹿にしたような顔は今も忘れられない。

その時は自分がなぜこんな目にあうのかわからなかったが、
やがて障害者であるということがその理由だとわかると俺は塞ぎ込み、思春期
の多くを家の中で過ごした。

自分に何の非もなく、不幸な目にあうのが悔しくて仕方がなかった。
だから俺は親父を憎んだ。そして死んだ母親すら憎んだ。


295 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2008/10/26(日) 04:24:03.11 ID:dNEoLRlT0
なぜこんな身体に生んだのか。なぜ普通の人生を俺にくれなかったのか。
手話では到底表しきれない想いを、暴力に変えて叫んだ。
ときおり爆発する俺の気持ちを前に、父は抵抗せず、ただただ、涙を流し 「 すま
ない 」と手話で言い続けていた。

その時の俺は何もやる気がおきず、荒んだ生活をしていたと思う。
そんな生活の中での唯一の理解者が俺の主治医だった。

俺が生まれた後、耳が聞こえないとわかった時から、ずっと診てくれた先生だった。
俺にとってはもう一人の親だった。
何度も悩み相談にのってくれた。俺が父親を傷つけてしまった時も、優しい目で
何も言わず聞いてくれた。
仕方がないとも、そういう時もあるとも、そんな事をしては駄目だとも言わず、咎め
る(とがめる)事も、慰める事もせず聞いてくれる先生が大好きだった。

そんなある日、どうしようもなく傷つく事があって、泣いても泣ききれない、悔しくて
どうしようもない出来事があった。
内容は書けないが、俺はまた先生の所に行って相談した。

長い愚痴のような相談の途中、多分 「 死にたい 」 という事を手話で表した時だと
思う。 先生は急に怒り出し、俺の頬をおもいっきり殴った。


297 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2008/10/26(日) 04:26:01.67 ID:dNEoLRlT0
俺はビックリしたが、先生の方を向くと、さらに驚いた。
先生は泣いていた。
そして俺を殴ったその震える手で、静かに話し始めた。

ある日、俺の親父が赤ん坊の俺を抱えて先生の所へやってきたこと。
検査結果は最悪で、俺の耳が一生聞こえないだろう事を父親に伝えたこと。
俺の父親がすごい剣幕でどうにかならないかと詰め寄ってきたこと。
そして次の言葉は俺に衝撃を与えた。

「 君は不思議に思わなかったのかい。
君が物心ついた時には、もう手話を使えていた事を。 」

たしかにそうだった。俺は特別に手話を習った覚えはない。
じゃあ、なぜ・・・

「 君の父親は僕にこう言ったんだ。

『声と同じように僕が手話を使えば、この子は普通の生活を送れますか』

驚いたよ。 確かにそうすればその子は、声と同じように手話を使えるようになるだろう。
小さい頃からの聴覚障害はそれだけで知能発達の障害になり得る。 だが声と同じよう
に手話が使えるのなら、もしかしたら・・・
でも決してそれは簡単な事じゃない。 その為には今から両親が手話を普通に使える
ようにならなきゃいけない。


298 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2008/10/26(日) 04:26:56.40 ID:dNEoLRlT0
健常人が手話を普通の会話並みに使えるようになるのに数年かかる。
全てを投げ捨てて手話の勉強に専念したとしても、とても間に合わない。

不可能だ。 僕はそう伝えた。

その無謀な挑戦の結果は君が一番よく知ってるはずだ。
君の父親はね、何よりも君の幸せを願っているんだよ。

だから死にたいなんて、言っちゃ駄目だ。 」

聞きながら涙が止まらなかった。父さんはその時していた仕事を捨てて、俺のために手話
を勉強したのだ。

俺はそんな事知らずに、たいした収入もない父親を馬鹿にしたこともある。

俺が間違っていた。 父さんは誰よりも俺の苦しみを知っていた。
誰よりも俺の悲しみを知っていた。
そして誰よりも俺の幸せを願っていた。

濡れる頬をぬぐう事もせず俺は泣き続けた。
そして父さんに暴力をふるった自分自身を憎んだ。

なんて馬鹿なことをしたのだろう。 あの人は俺の親なのだ。
耳が聞こえないことに負けたくない。 父さんが負けなかったように。
幸せになろう。 そう心に決めた。


299 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2008/10/26(日) 04:27:51.49 ID:dNEoLRlT0
今、俺は手話を教える仕事をしている。
そして春には結婚も決まった。俺の障害を理解してくれた上で愛してくれる最高の人だ。
父さんに紹介すると、母さんに報告しなきゃなと言って父さんは笑った。

でも遺影に向かい、線香をあげる父さんの肩は震えていた。
そして遺影を見たまま話し始めた。

俺の障害は先天的なものではなく、事故によるものだったらしい。
俺を連れて歩いていた両親に、居眠り運転の車が突っ込んだそうだ。

運良く父さんは軽傷ですんだが、母さんと俺はひどい状態だった。
俺は何とか一命を取り留めたが、母さんは回復せず死んでしまったらしい。

母さんは死ぬ間際、父さんに遺言を残した。
「私の分までこの子を幸せにしてあげてね。」
父さんは強くうなずいて、約束した。 でもしばらくして俺に異常が見つかった。

「あせったよ。 お前が普通の人生を歩めないんじゃないかって
約束を守れないんじゃないかってなぁ。 でもこれでようやく、
約束果たせたかなぁ。 なぁ・・・ 母さん。」


300 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2008/10/26(日) 04:28:34.22 ID:dNEoLRlT0
最後は手話ではなく、上を向きながら呟くように語っていた。
でも俺には何て言っているか伝わってきた。

俺は泣きながら、父さんにむかって手話ではなく、声で言った。

「 ありがとうございました! 」

俺は耳が聞こえないから、ちゃんと言えたかわからない。
でも父さんは肩を大きく揺らしながら、何度も頷いていた。

父さん、天国の母さん、そして先生。
ありがとう。

俺、いま幸せだよ。

217 名前:Mr.名無しさん [sage] 投稿日:04/11/14 17:26:50
中学2年12月10日の俺へ

お前さ、今、原因不明のけいれん発作に悩んでるだろ、誰にも相談せずにさ。
けいれんの時の顔が「変な顔」とかもっとひどい言葉で罵られていじめられてるだろ。
病気といじめで悩んで、この日もかなりいじめられて帰ってきたんだよな。
それで、包丁持ち出して手首切ろうとしてるだろ。ホント辞めろ、頼むから。
お前度胸ないしさ、軽傷で終わるけど母さん泣かせるんだから。さらに父さんに殴られるから。

病気に効く薬、ちゃんとあるからな。いろんな病院行って2年後にそれ飲んだとき感動するよ。
お前、街中でいきなり大声でよっしゃーとか言ってガッツポーズする。でも恥ずかしいからやめておけ。
それでお前は大学入学の頃、化学を勉強して薬を作るのを一生の仕事にしようと思うわけだ。

お前の病気は完治しないんだけどさ、でもお陰で学んだことたくさんある。
死んじまったらなんにもできねぇんだ。
お前なんかよりきつい立場にいる奴いっぱいいるよ。
でも、お前の手足は薬飲んでりゃまともに動くから!

お前の切ろうとしてるその左手で、俺は新しい薬作ろうとしてんだ。
何か新しい薬作って誰かをよっしゃーって叫ばせてやろうぜ!
街中でガッツポーズとらせてやれ!ついでに恥ずかしい思いさせてやれ!
いいか、包丁は持ち出すんじゃない、それはお前の手首切るための道具じゃない。
その包丁で母さんに明日の朝飯と弁当作ってもらえ、いいな!

407 :1/2[sage]:2008/10/26(日) 06:27:08.55 ID:feJqOixs0
俺さ、中1の頃すっげー好きな女子が居たんだよ。
そいつ、国語が得意で、いっつも「国語で1位とってやる!」って意気込んでたの。
そのたびに、俺は喧嘩友達だったから「無理だろーww」っていってた。
で、その次のテスト。国語は、最後の最後にあった。
テスト席はそいつの斜め後ろで、よくそいつが見えたんだよ。
で、テストが始まって、30分くらいした頃。
周りはみんな終わってて、寝そうな奴とかも居て、ほとんどみんな机に突っ伏してた。
俺は全然わかんなくて、ずっと悩んでたんだ。
斜め前にいるそいつは、いつもどおりもちろん終わってるだろうなあ、と思って
なんとなくそいつの方を見たんだ。
そしたら、そいつの左手にはタオル(ハンカチ?)が握られてて、それが真っ赤だったんだよ。
最初俺は、そういう模様かと思ったんだ。
けど、違った。
それは、そいつの血だったんだよ。
何かと思って、そいつの方を見てたら、たまにハンカチを口にあててた。
俺は、「先生!○○(そいつの名前)が」って叫んだ。


408 :2/2[sage]:2008/10/26(日) 06:27:32.19 ID:feJqOixs0
そいつははっとしたようにこっちを向いた。
俺はその顔を見てビックリしたんだ。
いつも見ていたような元気な笑顔は無くて、涙と血でぐちゃぐちゃで・・・
すぐに先生がそいつを連れて行った。
しばらくしてテストの結果が出たんだけど、そいつの国語は2位だった。
そいつの答案用紙、見たんだ。
一番最後の問題の、「ひ」っていう字で終わってたよ。
間違ってたのは、そこだけ。
そこがあってれば、そいつは1位が取れたんだよ。念願の。

そのあと、あいつは死んだ。
何の病気だったのかは、まったく知らない。

俺がもっと早く気付いてれば、あいつは助かったのかなとか、
俺がもっと遅く気付いてれば、あいつは1位だったのになとか
色々思うんだよ。

488 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2008/10/26(日) 10:23:00.68 ID:dNEoLRlT0
土曜日、一人娘の結婚式だったんさ。

当時俺25歳、嫁33歳、娘13歳。
まぁ、要するに嫁の連れ子だったんだけど。
娘も大きかったから、多少ギクシャクしながらも数年過ぎた。
子供はあえてつくらなかった。
収入の問題もあったけど、娘の気持ちを考えたら、
子供は娘1人いればいいって事になった。

突然嫁が交通事故で逝った。
娘17の時。
突然2人きりになった&現実味がなくて二人して呆然。
これからどうしようと思った。
生活の面では収入も安定してたし、娘も家事の一通りは出来た。
何の問題もないはずだったけど、嫁側親戚が騒ぎ立てた。
そらそーか。
血の繋がらない29の男と17の女。
ある意味カップルでもおかしくない歳の差だもんな。
「あなたはまだ若いんだから」とか、
「再婚するにも子供がいちゃ・・・しかも自分の子供じゃないのに・・・」
とか、散々言われた。
でも、俺は間違いなく娘は俺の娘だと思ってた。
何よりも、嫁のたった一人の忘れ形見だ。
俺が育てて行く以外の選択肢は全く頭になかった。
そんな親戚の騒ぎは右から左に流した。
娘も「今更こんな足の臭いオッサンとどーにかなるかw」と笑ってた。
当たり前の様に言う娘の気持ちが嬉しかった。


489 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2008/10/26(日) 10:25:01.65 ID:dNEoLRlT0
やっぱり影であらぬ噂を立てられた事もあった。
三者懇談や進路面談で学校に行くと、必ず教師に変な顔をされた。
部活で遅くなった娘を迎えに行って「お宅の生徒が円光をしている」と
近隣住民から学校に通報された事もある。
それでも2人で暮らして来た。
再婚なんか考えた事もなかった。
それくらい娘には穏やかな、幸せな時間を与えてもらってた。

娘に話があると言われた。
「結婚したい人がいる。」と。
娘は25になってた。
俺が嫁と結婚したのと同じ歳。
正直複雑な心境だった。
次の日曜に相手の男に会った。
娘を見る目が優しかった。
こいつなら大丈夫だと思った。
安心した。
諦めもついた。(笑


490 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2008/10/26(日) 10:25:43.53 ID:dNEoLRlT0
あっという間に披露宴だ。
「お母さんが亡くなった時、本当にどうしようかと思った。
お父さんはまだ若かったから、私がいたら絶対に足枷になると思ってた。
だから、これからも一緒に暮らすのが当たり前みたいな態度でいてくれたのが
本当に本当に嬉しかった。
私のお父さんは、お父さんだけです。
今まで本当にありがとう。
お母さんが亡くなってからも、今までずっと幸せな子のままでいられたのは
お父さんがお父さんだったからです。」
娘がしゃくりあげながら読む花嫁からの手紙を聞いてたら
バージンロード一緒に歩いてた時点で必死で堪えてた涙がどっと溢れた。


492 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[]:2008/10/26(日) 10:26:12.76 ID:dNEoLRlT0
娘が出て行く前に、箪笥の引き出し一つ一つに
「ぱんつ」「しゃつ」「とれーなー」「くつした」とか書いた紙をはっつけていった。
そこまで俺自分で何も出来ない父親かよwww
しかも平仮名www
近いうち娘に良く似た孫とか出来ちゃうんだろうな。
そんで「俺まだじーちゃんとかいう歳じゃねーし」とか言っちゃうんだろうな。
俺、間違ってなかった。
大変だったけど、父親って立場、選んでよかった。
嫁と結婚して良かった。
娘の父親になって良かった。
1人になって部屋は何か広くなっちゃったけど。
微妙な抜け殻感は否めないけど。
今度はいつか生まれて来る孫の為に頑張ってみようかな。

14 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2008/12/15(月) 19:47:28.23 ID:FE6j+YqT0
大学が決まり一人暮らしの前日の日
親父が時計をくれた。
金ピカの趣味の悪そうな時計だった。
「金に困ったら質に入れろ、多少金にはなるだろうから」
そういってた。
二年生のある日、ギャンブルにハマリ家賃が払えなくなった。途方にくれていた時。
ハッと気がつき、親父の時計を質にもって行った。
紛れもない偽者であることが判明した。
すぐに親父電話した。

俺「おい!偽者子供につかませんなよ!」
親父「なっあてになんねーだろ人のゆうことなんざ。困った時にこそ裏切られるんだよ
   最後の頼みの綱になー。がはははは!これが俺の教育だよ。」
親父「でいくら必要なんだ?金に困ったんだろ?」
俺「・・・・あきれるわ。十二万貸してください・・・」
親父「明日振り込むから、何があったかは聞かない。金がない理由は親にいえない事が多いわな!」
親父「がはははは!女にでもはまったか?このバカ息子が!!ははは!!」

正直心底むかついたが、親父の声は俺を安心させてくれた。
今思うと、小さい会社だが経営者らしい教育だったのかなと思う。
そんな親父も去年の夏、ガンで死んだ。往年の面影も消え、ガリガリになった親父が
また時計をくれた。まだ箱に入った買ったばかりの時計だった。必死で笑顔を作りながらいった。
親父「金に・・困ったら質にでも・・・入れろや・・!」

オメガのシーマスターだった。くしくもその日は俺の誕生日だった。
俺「親父の時計はあてになんねーから質には入れないよ。」
二人で笑った三日後、親父は死んだ・・・・

親父が死んだ今も、金ピカの時計はメッキもはげたがまだ時を刻んでいる。

93 大人になった名無しさん 2006/11/10(金) 00:22:56
死んだ親父はよく食いに連れてってくれたな
うまいんだけど、親父は食うのが早くて、
食い終わるとじっと怒ったよな顔でオレが食べるのを見てた。
「早く食え」って言ってるみたいでちょっとヤだった。

こないだ初めて子供とラーメン屋に言ったら、やけにおいしかったらしく
ガツガツ食うわ、あせって水飲むし、ちっこい手で丼つかんでスープ飲んでハァハァいってる
可愛かった
そしたら「ねぇなんでじっと見てるん?怒ってる?」

オヤジ・・・・

26 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2008/12/15(月) 20:10:02.94 ID:FE6j+YqT0
俺んち母子家庭で貧乏だったから、ファミコン買えなかったよ。。。
すっげーうらやましかったな、持ってる奴が。
俺が小6のときにクラスの給食費が無くなった時なんて、
「ファミコン持ってない奴が怪しい」
なんて、真っ先に疑われたっけ。
貧乏の家になんか生まれてこなきゃよかった!
って悪態ついたときの母の悲しそうな目、今でも忘れないなぁ、、。

どーしても欲しくって、中学の時に新聞配達して金貯めた。
これでようやく遊べると思ったんだけど、
ニチイのゲーム売り場の前まで来て買うのやめた。

そのかわりに小3の妹にアシックスのジャージを買ってやった。
いままで俺のお下がりを折って着ていたから。

母にはハンドクリーム買ってやった。
いっつも手が荒れてたから。

去年俺は結婚したんだけど、
結婚式前日に母に大事そうに錆びたハンドクリームの缶を見せられた。
泣いたね、、。初めて言ったよ。。

「生んでくれてありがとう」
って。

俺は小学生の頃に母の作った炊き込みご飯が大好物だった。
特にそれを口に出して言った事は無かったけど母は判っていて
誕生日や何かの記念日には我が家の夕食は必ず炊き込みご飯だった。

高校生位になるとさすがに「又かよっ!」と思う様になっていたのだが
家を離れるようになっても、たまに実家に帰ると待っていたのは母の
「炊き込みご飯作ったよ。沢山食べなさい」の言葉だった・・・

会社に電話が来て慌てて向かった病室には既に近くの親戚が集まっていた。
モルヒネを打たれ意識の無い母の手を握り締めると母の口が動いた。
何かを俺に言いたそうだった。母の口元に耳を近づけると
「炊きこ・・・たよ。たくさ・・・・さい」と消え入りそうな声で言っていた。
それが最後の言葉だった。

「ママの作ったスパゲッティー大好き!」口の周りを赤くして
スパゲッティーを食べる娘とそれを幸せそうな目で見つめる妻を見る度に
母の炊き込みご飯が食べたくなる。

31 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 投稿日:2008/12/15(月) 20:13:08.39 ID:FE6j+YqT0
俺、小さい頃に母親を亡くしてるんだ。
それで中学生の頃、恥ずかしいくらいにぐれた。
親父の留守中、家に金が無いかタンスの中を探しているとビデオテープがあったんだ。
俺、親父のエロビデオとかかな?なんて思って見てみた。
そしたら・・・

病室のベットの上にお母さんがうつってた。
『〇〇ちゃん二十歳のお誕生日おめでと。なにも買ってあげれなくてゴメンね。
お母さんがいなくても、〇〇ちゃんは強い子になってるでしょうね。
今頃、大学生になってるのかな?もしかして結婚してたりしてね・・・』
10分くらいのビデオテープだった。
俺、泣いた、本気で泣いた。
次ぎの瞬間、親父の髭剃りでパンチパーマ全部剃った。
みんなにバカにされるくらい勉強した。
俺が一浪だけどマーチに合格した時、
親父、まるで俺が東大にでも受かったかのように泣きながら親戚に電話してた。
そんで、二十歳の誕生日に、案の定、親父が俺にテープを渡してきた。
また、よく見てみたら。
ビデオを撮ってる親父の泣き声が聞こえてた。
お母さんは、笑いながら『情けないわねぇ』なんて言ってるんだ。
俺また泣いちゃったよ。
父親も辛かったんだろうな、
親父にそのこと言ったら、知らねーよなんて言ってたけど、
就職決まった時、
親父が『これでお母さんに怒られなくて済むよ』なんていってた。

父さんは手先が器用だった。

小学校3年生の工作、少し手伝ってって言っただけなのに、120%の渾身の精力を傾けて作ってくれた空母赤城。何故かキットにない零戦の整備兵までいる。
物凄すぎて出せなかったよパパン…

イタズラも得意だったよな。
俺の歴史の教科書、ザビエルは天使になってるし、伊藤博文は
(=゜ω゜)ノぃょぅとかやってるし。(後でどれだけ怒られたと思ってるんだよw)

病室も折紙のカエルだらけにして看護婦さんに真剣に怒られてたっけ。

この間娘にせがまれてカエルを折ってやってたら、思い出して後で泣いてしまった。
死ぬ何日か前に車椅子に乗った父さんに会った時、こっちにおいでって言われたのに、痩せ細った父さんが恐くて尻込みしちゃったんだよな。あれが今生の別れだったのにな。
ごめんな。本当にごめんな。

あなたみたいに愛情深く、面白い人間にはなれないかも知れないけど、いつかは娘を萌えさせてみせるから。

697 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2008/12/24(水) 01:27:26
腹違いの兄貴が居る。
俺小学5年、兄貴大学生の時に子連れ同士の再婚。
一回り近く年が離れていたせいか、何だか打ち解けられないまま。
大学入試の時、入学金の事親に言えないでいたら、兄貴が知らない内に払っていた。
俺「気を遣わないでよ。いざとなれば働けば…」
兄貴「馬鹿野郎。俺はお前の兄ちゃんだ。」後でちょっと泣いた。
姪っ子が大怪我した時、限界まで輸血した。
兄貴「もういい止めろ。死んでしまう」
俺「うるさい。俺は○子の叔父さんだ」義姉共々泣かした。お返しだ。ザマミロ。

姪っ子の結婚式の時、「私にはお父さんとお母さんと、叔父さんの血が流れています」
って言われて図らずも号泣。兄貴夫婦以上に号泣。大恥かいた。
○子綺麗だったなあ…。

424 :ほんわか名無しさん :2007/10/13(土) 15:58:51 0
自分のことじゃなくて恐縮ですが、母が中学生の頃の話。

母は父親(私の祖父です)と二人で生活していました。その日暮らし、という
表現がまさにぴったりという貧乏振りだったそうです。
ある日、父親が風邪で寝込みました。それまで一度も倒れたことなどなかったのに、
高熱を出し、あまりに苦しそうな父の様子に、母は物凄く焦ったそうです。
たかが風邪なのに、薬を買うだけのお金がない。考えあぐねた母は、大事に
していた本を古本屋へ持って行きました。その本を買った古本屋へ。
古本屋のおじさんは、おそらく切羽詰った母の表情から何かを感じ取ったのでしょう。
その本を売ったお金で、無事に風邪薬が買えたそうです。

この話が出たのは、アイヌの神さまにまつわるちょっとした雑談がきっかけでした。
「コタンの口笛」っていう、大好きな本があって……という回想から、急に
思い出したのだそうです。
母はもう65、記憶に間違いがなければ、たぶんあの時の古本屋のおじさんと同じくらい。
「あの時はとにかく必死だったけど、あんな本一冊売っただけで薬が買えるわけ
ないのよね……それだけ必死な顔してたのかも」と、呟いておりました。

大げさかもしれないけれど、母を救い祖父を救ってくれた、見も知らぬ古本屋のおじさん。
もしかしたら、今ある家族を救ってくれたかもしれない方へ、心から感謝します。
母が大事にしていたという本をネットで調べて注文しました。
もうじき母の誕生日なので、びっくりさせようと思います。

50 :本当にあった怖い名無し :2006/09/21(木) 18:37:18 ID:AMlJc147O
両親を事故で亡くした俺には、9歳離れた姉貴がいた。
ガキの頃、肥満気味で両親がいなくて苛められてた俺をいつも助けてくれた。
優しくて、強くて、俺の自慢の姉貴だった。

秋になると金木犀の花を部屋に飾った。
お姉ちゃんが一番好きな花なんだよと笑って。
高校にも行かず、朝から夜まで働いて俺を養ってくれた。

そんな姉貴が、死んだ。

事故だった。
結婚が決まって、やっと幸せになれる日を目の前にして、姉貴は逝った。
享年27歳。
俺は兄貴になるはずだった人に後見人を務めてもらい、小さなアパートに部屋を借りて就職をした。

5年経って、俺は職場で出会った彼女と結婚を決めた。

式の前日、姉貴が夢に出てきた。
姉貴は俺にごめんなさいと謝った。
大学まで行かせてあげたかったと。
俺は高校出たら働いて姉貴に楽させてやりたかったよ。
姉貴は私の分まで幸せになりなさいねと泣きながら笑って言った。

姉貴の式の日に、今まで有り難うって言って渡すはずだった金木犀の苗木は、俺の家の庭に植えた。

今年も金木犀の季節がやってくる。
俺はきっとまた、姉貴がいた頃を思い出して泣く。

御歳84になるおじいちゃんが言いました。
「僕はね、昔、まあ今もだけど。運動も勉学もロクにできなかった」
「友達もいないし。顔も悪い。いつもひとりぼっち」
「だから、死のうと思ったことがある」
「でも、死んでしまったら僕の葬式代がかかるだろう」
「役立たずの僕のためにそんな無駄なお金を使ってほしくなかったんだ」
「そこで僕は考えた。これ以上迷惑をかけないように今は死なないでおこう」
「生きて生きて、僕が死んで迷惑になる人たち皆死んでから、死のう。と」
「どこかの海か崖にでも身を投げて・・・ね」
「でもね、気付いたんだ。僕には両親がいる。兄弟がいる」
「兄弟はやがて結婚して子供を持った」
「僕も運良く結婚できて子供をもてた」
「僕が生きている以上、つながりが消えることはないんだ・・・ってね」
「そして、僕は僕の大事な妻のため、子供の為に今まで生きてきた」
「その、僕の大事な子供の子供が、君です」
「ありがとう、君がいるから僕は生きています」

病院で自傷による出血多量の手当てのため入院していた、僕に向かって。

それからしばらくして。
おじいちゃんは死にました。
葬式の会場で
「すまないねえ」
というおじいちゃんの声を、身内の者のほとんどが聞いたそうです。
僕も、聞きました。

もうすぐ月命日です。思い出したのでなんとなく。

この前昔からの友人の娘の結婚式に出席した
私と友人は高校からの友達で、かれこれ30年以上の付き合いで、その娘の事も知っている。
その子の結婚式という事で電話が来て出席することにした。
しかしその子、本当は友人の娘ではなく、友人が20歳の時に生まれた妹だ。
なぜ妹を娘としていたのかというと、友人が21歳の時に両親が事故で他界、家族は兄妹二人となり、
親のいない家族として育てるよりも、片親ではあるが父親のいる家族として育てたほうが妹のためにもなるのではと、
彼なりに判断したからである。
当時そのことで友人から相談された時は私はすごく反対した。
確かに妹のことを考えればそれがよいのかもしれないが、お前自身はどうなるのか?
21才やそこらで子供一人、しかも片親として育てる事は幾らなんでも無理がありすぎる。
母親のことを尋ねられたらどう答えるのか?そもそも戸籍を見られた際気がつく。
祖父の元で育ててもらったほうが良いのではないか?
それに友人自身の将来の結婚などのこともどうするのか?
それらの事を友人に尋ねると、友人は父親母親方の祖父はすでに病気で他界、親戚に預けるのも嫌、
それ以前に自身、両親の他界しつらい時妹の笑顔に救われた、この子が無事育ってくれるのならば
自分の幸せは二の次でも構わない。
そういわれたら私自身何も言い返せず、ただ
「つらい道なのかもしれないが、頑張れ」
としか言えなかった。
それから友人は一家事と仕事、妹の育児とで一生懸命だった。
私も何か手伝えることはないか?と時折聞いてはみたものの、酒に付き合い話を聞くぐらいしか出来ることは何もなかった。
私の知る限りその子が友人が父親ではなく兄という事を知っている様子はなく
又友人からそのような話を聞いた事もなかったので、うまくいっているのであろうと思っていた。
式も順調に新郎の会社の方、友人のスピーチなどすべてが順調に進んでいた。
そして新婦が友人に手紙を読み始めた。良くある内容の父への手紙である。
「お父さん今まで本当にありがとう」
そう言って娘さんは泣いていた。泣きじゃくっていた。
しかしそこで事態は変わった。娘が一向に続きを読まないのである。
そして首を横に振りながら何か訴えてる。何が起こったのかわからず周りはざわつきだした。

次の瞬間彼女の口からお兄ちゃんという言葉が出てきた。
私は口から心臓が飛び出るかと思った。きっと友人もそうに違いない、なにせ顔色が一瞬にして変わっていた。

彼女はすべて知っていたようである。
何でも高校生の時、書斎を整理している際に偶然友人の日記を見つけ読んだようで
その時自分が娘ではなく妹である事を知ったようである。

彼女は言葉にならないぐらい、泣きながら友人に感謝の言葉を言っていた。
そしてそれと同時に謝罪もしていた。自分のせいで兄の人生を狂わせてしまった。
本当にごめんなさいと何度も謝っていた。

友人は「それは違う。俺の人生はつまらない物じゃない。お前がこんなに大きく育ってくれた。それだけで俺には十分だ」
そういっていた。俺も自分のことではないのにもかかわらず涙が流れていた。

そうして周りから拍手が送られ何事もなかったかのように式は進んでいき、結婚式は終わった。
私は友人とその後居酒屋へ行き酒を飲みながら話をした。
話をしながら友人は妹のことを思い出しながら涙を流していた。
私はその時友人におつかれさまと言ってやった。
友人は笑いながら、いえいえと言い泣いてた。
そんなこんなな話。友人が今一番楽しみにしているのは孫が生まれることらしい。

65 名前:おさかなくわえた名無しさん[sage] 投稿日:2009/03/12(木) 14:26:35 ID:eRNXPqx/
自分がまだ幼稚園児の頃だと思うのだが、
夜中にふいに目が覚めると、父が覗き込んでいて、いきなり泣き出した。
大人が泣くのを見るのは、記憶の限りその時が初めてで、
しかも父はとにかく強くてかっこいい!と信じていたので、凄く吃驚して変に印象に残ってる。
その後、何度か確認する機会があったが、父がいつも
「夢でも見たんだろう」と言っていたので、何しろ幼児の頃の記憶だし、自分もそう思うようになっていた。

が、20年以上の歳月を経て、父はついに白状した。
当時、とにかく忙しい職場に勤めていた父は、朝は私が起き出す前に出勤。夜は就寝後に帰宅の日々。
寝顔をそっと覗き見るのが日課で、このままでは娘に顔を忘れられてしまうと不安に思っていたらしい。
そんなある日、いつものように寝顔を眺めていると、私が目を覚ましてしまった。
やばい、良く寝ていたのに、ぐずってしまうかも知れない…父が焦っていると、
私が寝ぼけ眼のまま「おとーしゃんだ」と言って、ニッコリと笑ったらしい。
ろくに顔をあわせることもできず、たまの休みにも疲れ果てて寝ていることが多い。
しかもこんな夜中に起こされて、それでもこの子は自分の顔を見て喜んでくれるのか、
こんなふうに笑ってくれるのか、と思ったら、愛しさが込み上げて思わず泣いてしまったらしい。
それがどうにも恥ずかしくて照れくさくて、どうしても本当のことが言えなかった。
嘘付いててスマン!と告白される結婚式前夜。
内心は萌えつつも、明日目が腫れたらどーしてくれる!!と私が切れたので、笑い話になったが、
父が涙を流していたあの記憶は、私にとって良い思い出になった

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